公教育現場に入って見えてきた問題点

塾講師の生徒との想い出
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今回の記事は、真面目な教育に対して感じた内容ですが、
ところどころ、毒舌全開です(^^ゞ

支援員として学校に入ってみた

塾の運営、中学校の支援員の仕事という二足のわらじで、

心臓が止まりそうなほど休みなく働き続けていました。

塾は、ライフワークであり生き甲斐を感じながら、

どんなにキツくても、収入が低くても頑張れます。

また、出来るだけ相性の良い生徒に絞るスタイルのため、

苦痛はありません。

一方で、学校の支援員の仕事は

時間が拘束され内容も薄く給料も手取り10万前後なので

非常にストレスの溜る状態でした。

「人生の限られた時間を無駄にする仕事…、さっさと辞めないと・・・」

そう思いつつ、やはり人間関係が出来てしまうと、

簡単には抜けにくいものです。

無価値な仕事・公教育の現場・無能なマウンティング教師など

私のこれまでの平均的収入からすると、この1年の収入は、

3分の14分の1まで落ちていたため、

当然ながら支払いなどもショートし始めました(゚´Д`゚)

以前からブログに書いてあるように、

仕事に対する評価は、その対価で決まる。

つまり、給与額がその仕事に対する評価です。

なので、どんなに一緒に働く同僚達や、上司に評価されていようと、

給与の額面が、評価のすべてです。

それを個人経営を長年続けてきた経験から痛感します。

その点、公務員として雇用が保障されている人達は…(^◇^;)

一般企業目線で見れば仕事できない割に

自信満々でマウンティングしてくる残念な教師2人ほどいました(;´Д`)

やはり、そういう教師は特別支援に回されがちです。

一応、小学校で一緒に働いたベテランの女性教師(特別支援)は
人間としても、先生としても、とても素晴らしい方でした。

中学校でも、特別支援担任のベテラン男性教師も、
私にとっては尊敬できる部分の多い大好きな教師でした。

尊敬できる教師達というのは、
ベテランでありながらも、
非常に腰が低く、
経験に裏打ちされた落ち着いた自信が見られ、
寛容であり、
決して攻撃的な態度も、マウンティングもしません。

マウンティングは、
自尊心の割に、周りから評価されていない人特有の態度だと、
学校現場に入ると良く分かります。

(尊敬に値する先生方についての記事は、別の機会に)

無能な一部の教師達と一緒に仕事をしていると、
どんどん自分のレベルまで下がっていきます。

私の本職の仕事は、
学校で落ちこぼれ、弾かれた子供達を預かって、
確実に結果を出すことです。

どんな生徒であれ、一度預かれば、
必ず結果に責任を持たなければなりません。

楽しく肯定的に向き合いながら、
劇的に成績を伸ばし、
失った自尊心を取り戻し
自信・自己肯定感を高め
将来へ明るい希望を持たせる仕事です。

一方、学校現場では、流れ作業でした。

何も努力をせずとも、毎年生徒達が流れ込んできて、
それを右から左へ流していく仕事だと痛感します。

私から見れば、
確実に立ち直らせることも出来る程度の問題児、
また、
学力的にも十分に救え、
高校に合格させられる生徒がいても、

制度上なのか、救うことは許されません

長くなる内容なので、別記事、
公立学校現場に入って見えてきた事
をまとめた記事に書きます。

無意味な仕事を行う学校現場

学校の先生と生徒達との薄っぺらい関係性に、

虚無感を感じる日々でした。

それは多くの学校の先生が同意する部分かもしれません

一応、学校の先生方を擁護すると、

やって上げたくても出来ない。今はそういう時代。

私は、金八先生というより、
スクールウォーズの影響を強く受けた世代なので、
優秀な生徒よりも、
少しくらいヤンチャだけど、
内面に熱いものを持つ生徒と向き合うことが好きです。

そういう子達と向き合い、
遣り甲斐を感じながら教育と向き合ってきました。

そんな私と関わって育った教え子で、
学校の先生になった子達が数人います。

『意味のある生徒との関わりを大切にして欲しい』

毎回、そういう話をします。

ひとり一人の生徒・助けが必要な生徒とトコトン向き合えない公教育現場

このように、勉強のため割り切って入った公立学校現場でしたが、

私がこれまで行ってきた私塾での教育に対し、

あまりにも薄っぺらく中味も無く価値の薄い仕事であると分ると、

「このアホな状況を早く脱しないと・・・」

そう思いながらの毎日は、
精神的にも、肉体的にも苦痛以上の日々でした。

『もし私が学校の教師になっていたら…?』

そう考えると、

『もっと、生徒とがっつり向き合える教師になっている』

自信はありますが、

それでも、私塾での生徒達との関わりのように、
必要な関わりをトコトン追求し、
関わった子供達の潜在能力を引き出し
本人、親も想像すらしなかったレベルまで高める!

そういう教育は出来なかったと分ります。

そこが、公教育の限界です。

生徒とトコトン向き合うなんて、教育委員会も許さないでしょう。

つまり、
日本式社会で生きていくための
平均的な価値観を植え付けること
公教育の一番の目的
であり、

ひとり一人の個性や、能力を引き出すことは、
求められない場であるからです。

そう考えれば、逆に、
私塾、スポーツ教室などの存在価値が分ります。

ただ、今回、収入を捨てて公教育の場に入った目的は、

『親、環境に恵まれていない子達、
つまり塾に通えないような子達にも、
公教育であれば、平等に関われるよ!』

そう言って、恩師に招かれたこと
理由のひとつであったことを考えると、

『公立学校現場は、支援が必要な子に対し、
必要な支援を行う態勢、制度の無い、残念な場』

でした。

私の恩師は、昔ながらの熱血漢で、今でも大好きですし、
尊敬・敬愛の念は変わりません。
実際、最近も辞めた中学の教え子と会って話しましたが、
はやり、今でも生徒達からも信頼されていて、嬉しく感じました。


結果責任のある私塾では選択と集中で全員と向き合える

私塾であれば、もし預かった子供達を全員伸ばそうと思えば、

選択と集中を行い、伸びる生徒を短期間で集中的に伸ばし、
その子達をリーダーとして、真ん中の学力の生徒を牽引させ、

最も時間の掛かる、指導力が必要な、
学力の低い生徒に対し、
集中して向き合うことも可能です。
(そこまでやる塾は少なそうですが(^◇^;)

一方、学校現場では、ただただ流れ作業、

小学校での遅れがある生徒、
明らかに受けるだけ無駄な授業を受けさせ、

どんどんと落ちこぼれを生み出し、
不良を生み出しながらも、

その原因が学校にあるという認識は無く
生徒自身の問題として、
生活指導で自尊心を破壊していきます。

結果、彼らは立ち直る
最後のチャンス
であった
中学初めの1年を失い、

3年間を無駄に過ごして卒業し、
社会に放り出されます。

これでは、社会に対し、攻撃的な大人になってしまいます。

消えた熱血教師

現在は、新型コロナによる塾の営業自粛などもあり、

塾の経営によって、なんとか収入を凌いでいた中、

ドブに落としても気付かないレベルの給与の為に、

貴重な昼の時間帯を、無駄に過ごす余裕も無くなり、

敬愛する教頭先生、また、尊敬する恩師に状況を説明し、

離職したのでした

現在の学校現場というのは、時代が時代のため、

サラリーマン化した教師はさらに増えたように感じます。

事なかれ主義です。

私たちの昭和世代のように、

不良の生徒は暴力教師がボコボコにするけど、

その後、個人的にラーメン屋に連れて行って人生を熱く語ってくれる…

そんな事は無くなりました。(今、それをやったら大変です)

私たちの頃は、

(沖縄なので)夏休みに学校車で海に連れて行ってくれた事もありました。

私もかなり先生方には世話になった生徒でしたので、

学校の先生へのそんな憧れもあり、教師を目指しました。

それが、大学から始めた私塾で、生徒が途絶えず、

気がつけば25年、

学校現場を諦めたのでした。

それを知る、中学校の恩師から誘われて、兼業可能な支援員として

公教育の現場に入り、私は浦島太郎状態だったと言えます。

昭和的感覚で学校現場に飛び込んだ事で、
初めは誤解もあり、
教頭先生とはぶつかったことがありましたが、

私の学校への思い、教育への熱い思いに共感してもらい、
離職するまで、ずっと味方であり、協力的で理解者でした。

教頭先生も、教育現場では
知らない人がいないほどの熱血漢で、
恩師と同じく、野球の監督経験者です。

一度、教頭先生から昔話を聞かせて貰った内容ですが、

ずっと昔、どうしようも無い不良達がいて、バリバリの体罰教師だった若い頃の教頭先生が、中3になったその不良達を、校長や、親に許可を貰って、離島に2泊3日のキャンプに連れて行ったそうです。(そこは、私が毎年塾の中3生を連れて行く渡嘉敷島です。)

そこで、不良の男子中学生達と寝食を共にし、合宿場で一緒に風呂に入って、背中を流しながら将来の話を語り合ったそうです。

中学校時代、どんなにヤンチャでも、彼らも大人になり社会に出て行きます。そんな彼らと、学校の先生としてでは無く、一人の人間として向き合う時間だったのだと分ります。彼らにも、社会の一員として、手に職を持ってたくましく生きていって欲しい。そういう熱い思いを持った先生でした。

めちゃくちゃ泣けるシーン
感動のお風呂シーン

しかし、今の時代だと、そういう熱血教師は敬遠され、

生徒のため!と思ってやったことが裏目に出る時代だと嘆いてもいました。

公教育の問題点は本気で学校を良くする気のないサラリーマン的怠惰

公教育の現場に入って見えてきた問題点は、

教育委員会も、結局、本気で学校を良くする気が無い点です。

赴任した中学には不良がいましたが、

私も中学校の頃、親友は皆、かなりの不良でしたので、

教師に嫌われている不良でも、友達同士で見せる笑顔は、

他の真面目な子達より、無邪気でとても素直なことを知っています。

実際、私が関わった塾関係の子供達の中にも、かなりの不良がいましたが、

大人になった彼らと、今でも関係が続いていて、みんな普通の社会人として頑張っています。

コンビニで偶然会っても、ちゃんと敬語で話しかけてきます。

中学で不良になる子の多くが、勉強で躓いたことが切っ掛けです。

毎日、『意味も分らず、全くついて行けない面白くない授業』を強制的に受けさせられ

グレるのも当たり前です。

そういう子達を私は救えますし、その仕組み作りも教育委員会に提案し、

それに関してはボランティアで可能だと伝えても、

そんな面倒くさいことは出来ない・やりたくないと言った態度です。

結局、誰が見ても楽な、

真面目、従順な生徒のために運営するのが、公教育の場です。

不良になるのは、『その子に問題がある』

それだけの認識で、改善する気は毛頭ありません

私だって、もちろん、全ての子を救えると言うほど自惚れは無いですし、

25年間も教育に携わり、多くの子供達と向き合った中で、

多くの失敗も経験しています

わかり合えたと思っていても、裏切られることもありましたし、

虚無感を味わう経験だってありました

それでも、今、目の前にいる生徒達との向き合い

一期一会の精神で、全身全霊で向き合うだけです。

出来ることは、出し惜しみせず、

その時の最善を尽くすことが大切です。

そうやって向き合ってきたからこそ、

卒業して10年以上経った教え子達とも、ずっと良い友人関係が続いていると言えます。

学校の教師だと、私のように全人生をかけて、家族以上の関係として生徒達と向き合い、

ひとり一人の人生に責任を持って関わる事は不可能だとは思いますが、

それでも、

安定した雇用と収入で守られているのだからこそ

もっと出来ること有るのにな…

そう感じたのでした。

同じボランティアなら能力を最大限に活用して貰える場で!

学校現場を辞めた今でも、ときどき恩師とLINEしたり、学校や、生徒達のこと、教育現場の話などします。そんな恩師と、1年間学校現場に入ってどうだったかを聞かれますが(^◇^;)…

収入的には、最悪な1年間で、その失ったモノに対して、得た経験は非常に少ないものでした。

それでも、学校現場への幻想は消えたのは大きな収穫だったと言えます。

私が中学校の頃に学校の教師に抱いていた憧れが、もう過去のものであり、

私の追い求めている理想の教育を実践出来るような場では無くなっていることが分り、

気持ちを私塾教育理想の教育を追い求める事に切り替えられたと言えます。

もう少し若く、30代前半くらいであれば、

部活の顧問をやって、
スポーツを通じて人間教育に燃える!
というパターンもあったかもしれませんが、
歳も歳なので、それも叶いません。

恩師の勧めるように、(補充として)学校現場に入る場合、
1教科だけを時間ごとに転々として、
生徒達と広く浅い関わりで過ごすだけ…(^◇^;)w

今では、全く興味もありません(^◇^;)

現在は、塾とは別で、社会福祉協議会と連携して、子供居場所塾などボランティアで、

『家庭環境に難ありで塾に通えない子供達の為に関わる教室』

の立ち上げに参加する話を貰っているので、
そういう所で、私の能力を活かして貰えたら嬉しいな~と考えています。

以上(^^ゞ

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