40代☆初めての期間工☆体験記②仕事始めから数日

パニック克服法
Sponsored Links

今回の記事からは、工場勤務の経験ゼロ、40代を過ぎた私が、自動車工場で働いてきた経験を振り返り、その仕事の内容について紹介します。

まず初めに断り書きとして、私はこの仕事のために沖縄を出て、愛知に行く4年ほど前に
パニック障害を発症しています。

西洋薬に頼らず、自力で克服してきた集大成としての意味合いも込めて、
自分自身に負荷をかけるため、
期間工にチャレンジした側面もあります。

はじまり

仕事が決まり、出発の日が近づいてくると、パニック障害特有の予期不安が夜な夜な襲ってきました。

知らない土地で、一人アパートで過呼吸になったら・・・

仕事中に倒れて迷惑をかけてしまったら・・・

誰だって、新しい環境に旅立つ時には、当たり前の不安が頭をよぎるものですが、

パニック障害になると、そういう不安が頭をよぎると、脳内から悪いホルモンが大量に分泌され、行動を阻止しようとするので厄介です(;´Д`)

しかし、4~5年かけて、じっくりとメンタルトレーニング、肉体改造を重ねてきたので、

「予期した不安、最悪の状況は起こらない」

「未来はまだ起こっていないから、心配しても無駄」

「良い未来しか待っていない」

そういう言葉を繰り返し頭に浮かべ、時には口に出して言い聞かせます。

その時期には、ロディオラが一番助けになっていました。

現在では、不安感よりも肉体疲労による無気力感からエゾウコギ

うつな気分、やる気が起きない、イライラからセントジョーンズワート

の2種類だけ飲んでいるのですが、

当時の不安感には、はやりロディオラが一番役立っていました。

自動車を一番安い海運会社にお願いして、万全の準備をして空港に向かいました。

派遣会社の方がチケットを持って待っていました。

自分がパニック障害持ちだと言うことは勿論話してないため、

いつものように笑顔で、元気いっぱいな態度を繕いますが、

飛行機に乗る不安感でいっぱいです。

しかし、教え子の結婚式で2年前に飛行に乗ったことで、

大丈夫だという確信がありました。

酔い止めを飲むと、良い感じに眠くなるのでフライトの半分以上は気持ちよく寝ていました。

中部国際空港に到着し、初めての大都会(・∀・)?にワクワクしながら、

沖縄の人は時間にルーズだと思われないよう、渡された紙の時間を見ながら移動します。

沖縄には電車の文化が無いため、線路図を見ながら移動するのも新鮮でした(・∀・)

ただの線路にもドキドキ(・∀・)

現地の派遣会社の人と落ち合い、

アパートの一室に連れて行かれ、契約書の確認が始まりました。

普通のアパートの一室を事務所代わりに使っているので、大丈夫か・・・?

と心配になるほどガラガラの何も無いアパートでしたが、

一応、一部上場企業の派遣会社なのと、TOYOTA系に務めることは決まっているので

それほど心配はありませんでした。

初日恥ずかしかったのは人前での着替え☆パンイチ

それよりも恥ずかしかったのは(^0^;)

準備された作業着のサイズの確認のため、着替えをする時でした。

その後、愛知で半年以上過ごして慣れましたが、

沖縄では銭湯文化が無いので、人前でパンツを見られるのには少し抵抗があります。

着替えを渡され、「着替えるところありますか?」

と思わず聞くと、「男同士なんだから、そこで着替えて下さい。」

と、苦笑いされました(笑)

後から考えると、そのときにタトゥーや、入れ墨のチェックをしていたのでしょう(^0^;)

田縣神社の境内

工場勤務が始まると、ロッカールームでは当然、当たり前のようにパンイチで着替えていたり、

シャワーから出てくると、フルちんでロッカーまで来る人も居ました。

田縣神社

愛知は特に温泉やスーパー銭湯が多いので、子供の頃からそういうのに慣れてるのだと、
あとから知ることになりましたが、
工場でも初日、15人程度で入社式でしたが、
着替えていなかった数人、普通にその会議室内で着替えでした(^0^;)

トランクスなら恥ずかしくないですが、(ボクサー)ブリーフだとちょっと恥ずかしい・・・

初日は、一日中座学です。会議室で、この会社の歴史や、どのような製品を作っているのかなど紹介され、コンプライアンスの説明、労災の事例などをプロジェクターで説明されるのをずっと聞いています。

もちろん眠くなりますが、さすがにこういう仕事に来る人たちというのは、人生の何かを背負っていたり、訳ありの人も多く、皆、真剣なまなざしです。

どんな人たちがいたのか

休憩時間には、すぐに仲良くなります。

私のように社交的なタイプも居れば、
人見知りでコミュ障の人もいます。

幸い、同期では変な人は居ませんでした。

一応、見た目には悪役プロレスラーのような、
ラッパーのファットジョーのようなイカツいメンバーも居ましたが、
みんな同期で仲間意識もあり、
また、探り合いの時期だったこともあってか、
それぞれの出身地を話したり、楽しい初日でした。

そういう座学の後、ペーパーテストがあります。

授業の内容を理解しているかどうかの簡単なテストですが、
そういう時に、やはりこの仕事に来る人たち特有の壁にぶつかるようです。

まず、中学校もろくに出ていないタイプの人だと、
問題文が読めず、ずっと冷や汗をかいて悩み続け、合格点が取れません。

このテストが出来なかったからと言って首にはなりませんが、配属先の現場に行けません。

入社前の適性検査で、ある程度の能力は検査が済んでいるので、
その能力によって、器用な作業が必要とされる部署なのか、
ものを運ぶ部署や、力仕事廃棄物処理系の仕事なのか等など、
様々に割り振られているのです。

そんな中、同期で気の合う同世代の人と私は、運良く同じ組に配属されることになりました。

初めての工場勤務、しかも、世界一の自動車会社のTOYOTAで働くという期待でワクワク、ドキドキです。そのときの興奮は、小学校から中学に入学した時のような気持ちでした(・∀・)

まず初めに、これから世話になる組の、組長と顔合わせをして、その後、班長さんを紹介され、担当するライン作業の現場に連れて行かれ、先輩の作業を数分見せられました。

初めの数日間は座学が多く楽勝

直ぐに作業に入るわけでは無く、それから数日、多分3日間くらいは半分座学(会議室)で、

肉体労働とはほど遠い、楽な数日が続きます。

まだ沖縄から車が届いて居らず、

1週間くらいは朝6時に起き、歩いて駅まで向かい、バスに乗り継いで通うという新鮮な日々が続きました。

すべてが新鮮で、気分は10代に戻ったような感じです。

誰も私のことを知らず、私の経歴についても知りません。

この仕事にやってくる人たちの多くが、何らかの事情ありだったりするため、あまり深入りして聞こうとしないのが暗黙のルールです。

この楽な期間、仕事は定時上がり16時50分で終わり、帰ってから時間があります。

もしこの時期に車があれば、色々と回れましたが、取りあえず歩ける範囲で町を散策しました。

沖縄とは違う文化の町並みはすべてが新鮮で、今思い出しても懐かしく、あのときのわくわく感が蘇ってきます。

歩いて1~2分の距離にカーマ(ホームセンター)と、スギ薬局があったので、生活用品を買いそろえました。

続く・・・

コメント

タイトルとURLをコピーしました