はじめに

この記事は約12分で読めます。
カテゴリー

寺子屋おやなりへようこそ😊

このたびブログを本格的に再始動することにしました。

これからしばらくは、25才の元教え子と、50代の元塾長である私が挑戦するAI副業の師弟対決日記を、中心に綴っていこうと思っています。

その一方で、これまで多くの方に読んでいただいているパニック障害克服記も、少しずつ読みやすく整えながら残していくつもりです。

また、これまで通り、日常のことや気になったことを書く雑記ブログとしての一面も大切にしていきたいと思っています。

まずは、自己紹介文を書きました。
よろしければ、読んでいただけると嬉しいです。

支えていたつもりが、支えられていた。

―― パニック障害が教えてくれた、大切なこと

はじめまして。

沖縄で長年、小さな学習塾を営んできた「おやなり」です。

このブログはもともとは、パニック障害克服日記として書き始めたものです。

このブログの始まりは、2014年5月にさかのぼります。

親しかった人との突然の別れをきっかけにパニック障害を発症し、同時に深刻なうつ症状に苦しむようになった私が、なんとか元の生活を取り戻そうと、日々の試行錯誤を綴り始めたアメーバブログが原点です。

それまでの私は、何事も「気合いだ! 気合いだ!」で乗り切ってきた、根っからの体育会系人間でした。

ところが、ある日突然、その気合いがまったく通用しなくなってしまったのです。

ある日突然、元気だけが取り柄の先生が壊れた

発症当時は、塾の授業を続けることさえ困難な状態でした。

予期不安が波のように押し寄せ、過呼吸の発作に襲われる。夜もろくに眠れず、朝になっても、ひどいうつ症状で身体が動かない。

自宅からわずか10メートル先にある自動販売機にすら、行くことができませんでした。

「こんな状態で塾を続けたら、生徒たちに迷惑をかけてしまう……」

とりあえず一日だけ塾を休ませてもらい、これからどうするべきか考えることにしました。

生活のためには、塾を辞めるわけにはいかない。

でも、こんな状態で生徒たちを預かっていいのだろうか。

医療従事者である兄や姉たちは、半年ほど塾を閉めて、療養に専念した方がいいと言ってくれました。

けれど、それまで自分の力で生きてきたという自負が強かった私は、家族の世話になることさえ受け入れられませんでした。

当時は、人に頼るくらいなら死んだ方がましだと、本気で考えてしまうほど追い詰められていたのです。

それでも、何より気がかりだったのは生徒たちのことでした。

とてもやんちゃで、可愛くて、手のかかる中学生たち。

そして、中学時代からずっと通い続けてくれている高校生たち。

この子たちを、どうすればいいのだろう……。

私は、それまで「いつも元気な先生」というキャラクターで、生徒たちをぐいぐい引っ張っていく指導スタイルでした。

というより、元気だけが取り柄の先生だったのです。

その元気がなくなってしまったら、いったい何が残るのか。

例えるなら、歌が歌えなくなったボーカルを抱えたバンドのようなものです。

塾の最大の魅力が、失われてしまう。

少なくとも、当時の私はそう思い込んでいました。

「俺たちがちゃんとやれば大丈夫でしょ?」

二日目の夜。

心配そうに塾へ集まってきた中学生たちに、私は自分の状況を正直に話しました。

そして、最後にこう伝えました。

「もし塾が楽しくなくなって、ほかの塾に移りたくなっても、全然大丈夫だからね……。ごめんね」

普段は騒がしくて、なかなか人の話を聞いてくれない子たちです。

ところが、その日はみんな真剣な表情で、私の話を最後まで聞いていました。

すると、一人の生徒が口を開きました。

「でも、勉強は教えきれるでしょ?」

「うん。勉強は教えきれるよ。でも、今までみたいに元気な先生ではなくなってしまう……」

すると、こんな言葉が返ってきたのです。

「大丈夫だよ。俺たちがちゃんとやれば大丈夫でしょ?」

そして、みんな塾に残ると言ってくれました。

少し遅れてやってきた高校生たちにも、同じ話をしました。

高校生たちも、誰一人として辞めるとは言いませんでした。

嬉しいというより、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

こんな自分を信じて、通い続けてくれる。

だったら、なんとしてでも元気にならなければ。

そう思いました。

けれど、正直なところ、回復できる自信はまったくありませんでした。

いつも騒がしい教室が、突然静かになった日

それからの日々は、体調と相談しながらの綱渡りでした。

さまざまな方法を試し、とにかく塾の授業がある時間帯に、少しでも調子が良くなるよう生活を調整しました。

教材の準備は、体調の良いタイミングを見つけて進める。

そんな毎日でした。

しかし、中学生たちの中間テストが近づくにつれ、私の不安はますます大きくなっていきました。

当時の中学生たちは、どちらかといえば勉強が苦手な子が多いメンバーでした。

テスト一週間前になると、学校帰りにそのまま塾へ集まり、試験勉強を始めます。

元気が有り余っている子たちですから、普段なら私が全員に目を配りながら、勉強を進めさせていました。

ところが、その頃の私は、もうそんなこともできません。

ただ、みんなが楽しそうに騒いでいるのを眺めているだけでした。

そして、とうとう身体に力が入らなくなり、起きていることさえつらくなってしまいました。

「ごめん。少し休ませてね……」

そう伝えて、教室と襖一枚で仕切られた寝室へ向かいました。

そこは、生徒たちも時々仮眠を取る部屋です。

横になって、しばらくすると……。

不思議なことに、教室が静かになりました。

さっきまで、あんなに騒いでいたのに。

もともと私は、生徒たちがワイワイ騒いでいるのが好きでした。

だからこそ、あまりの静けさが、かえって気になってしまったのです。

「いったい、どうしたんだろう?」

暗くした寝室から、そっと襖を開けてみました。

すると、そこには思いがけない光景がありました。

誰に指示されたわけでもないのに、生徒たちが学校のテスト対策プリントを自分たちでコピーし、静かに席について勉強していたのです。

それは、普段、私がテスト対策でやらせている勉強方法そのものでした。

私に気づいた生徒たちが、声をかけてくれました。

「大丈夫。自分たちでやっとくから、先生休んでていいよ。これは答え暗記するだけだから。あとで数学とか英語のときに声かけるよ」

いつもあんなに騒がしくて、目を離すとすぐに遊び始めてしまう子たちが……。

先生が休んでいる間に、自分たちでできることを考え、自分たちで勉強を進めていたのです。

胸がいっぱいになりました。

嬉しさよりも先に湧いてきたのは、やはり申し訳なさでした。

でも、今はこの子たちの優しさに甘えよう。

そう思い、夜からの授業に備えて、もう少し休ませてもらうことにしました。

先生が動けなくなったとき、理想の学び舎が現れた

夜8時頃になると、高校生たちが塾へ集まってきました。

すると、また思いがけないことが起こりました。

私が頼んだわけでもないのに、高校生たちが自主的に中学生の勉強を教え始めたのです。

その光景を見ながら、私は、自分がこの塾を始めた頃のことを思い出していました。

私が自宅兼教室というスタイルで塾を開いたのには、理由がありました。

目指していたのは、吉田松陰の「松下村塾」のような学び舎でした。

学年に関係なく子どもたちが集まり、先輩が後輩の面倒を見る。

そして、その後輩たちが成長すると、今度は新しく入ってきた子たちの面倒を見る。

そうやって勉強だけでなく、人としても成長していける場所を作りたかったのです。

もう一つ、目指していたものがありました。

それは、子どもたちの「秘密基地」のような居場所です。

いつ行っても、誰か友達がいる。

勉強が好きな子も、嫌いな子も、そこに行けば楽しい。

だから、ついつい遊びに来てしまう。

そして、そんなふうに通っているうちに、いつの間にか勉強もできるようになっている。

将来、自分のやりたいことが見つかったときには、その夢に向かって努力できる学力と、勉強を続ける力(勉強体力)が身についている。

そんな学び舎を作りたい。

ずっと、そう思って塾を続けてきました。

けれど、現実は日々の授業や生徒たちの世話に追われる毎日。

理想に近づいているのかどうか、立ち止まって考える余裕もありませんでした。

それどころか、頑張りすぎた結果、自分自身が壊れてしまったのです。

ところが……。

先生が思うように動けなくなった教室で、中学生たちは自分たちで考えて勉強し、高校生たちは自然に後輩たちを教えている。

誰かに命令されたわけでもない。

先生に褒められようとしているわけでもない。

みんなが、ごく自然にそうしていたのです。

その光景を見て、ようやく気づきました。

ああ……。自分がずっと作りたかった学び舎は、もうここにあったんだ。

元気だけが取り柄の先生が、その元気を失ったとき。

皮肉なことに、それまで気づかなかった大切なものが見えてきたのです。

私はずっと、自分が生徒たちを教え、導き、支えているつもりでいました。

でも、そうではありませんでした。

私自身もまた、生徒たちに支えられていたのです。

そして、この経験が、それまでの私の生き方や、人との関わり方を大きく変えていくことになりました。

理想の学び舎を守るために、変えなければならなかったこと

生徒たちに支えられていることに気づいた私は、なんとしても元気を取り戻し、この学び舎を守っていこうと決意しました。

それからの半年間、運動療法や認知行動療法、栄養学など、自分にできることを調べては試す毎日が続きました。

少しずつ心身が安定する時間も増え、ようやく自分自身の生き方を振り返る余裕が生まれてきました。

そこで気づいたのは、病気になるずっと前から、私は自分を追い込み続けていたということでした。

私には、塾を始めた頃から大切にしてきた考えがありました。

「経済格差が、子どもたちの教育格差につながってはいけない」

家庭の経済状況によって、学ぶ機会が失われてほしくない。

そんな思いから、授業料は地域でも最低水準に抑え、勉強が苦手な子には追加料金を取らず、必要に応じて個別指導もしてきました。

当然、手間も時間もかかります。

朝から晩まで働いているのに、収入はいつもギリギリ。

それでも、生徒たちの成長を間近で見られることが嬉しくて、卒業後もずっとつながっていられることが何よりの喜びでした。

だから、それでいいと思っていたのです。

ところが、気づけば十数年。

気合いと情熱だけで走り続けた結果、自分自身をいたわることを忘れていました。

親しかった人との突然の別れは、そんな私の心身が限界を迎えるきっかけになったのかもしれません。

生徒たちに支えてもらったからこそ、今度は自分が元気になって、その信頼に応えたい。

でも、そのためには、これまでと同じ生き方を続けるわけにはいきません。

塾をもっと利益の出る経営に変えるべきだろうか。

何度も考えました。

けれど、それでは自分が目指してきた学び舎ではなくなってしまう。

だったら、答えは別のところにあるのではないか。

「そうだ。塾とは別の収入源を作ればいいんだ!」

そう考えたことが、私の副業への挑戦の始まりでした。

副業がくれた、もう一つの自由

最初に挑戦したのが、ブログを使ったアフィリエイトでした。

その後も、ネットを活用した仕事や創作活動など、興味を持ったことに少しずつ挑戦していきました。

もちろん、すべてが順調だったわけではありません。

それでも、試行錯誤を重ねるうちに収入源が増え、やがて塾の収入を上回る時期も訪れました。

塾だけで生活を支えなければならなかった頃とは違い、経営が厳しいときでも、自分の理想を大切にしながら教室を続けられるようになったのです。

そして、この副業が後になって、思いがけない形で私を助けてくれることになります。

時代とともに、保護者の方々が塾に求めるものも少しずつ変わっていきました。

子どもたちと過ごす時間は相変わらず楽しく、教え子たちへの思いも変わりません。

ただ、私が大切にしてきた「子どもたちが安心して集まり、人としても成長できる学び舎」という理想と、求められる塾のあり方との間に、少しずつ距離を感じるようになっていました。

どちらが正しいという話ではありません。

時代が変われば、教育に求められるものも変わっていきます。

そして、私の理想が、すべての人にとっての理想とは限りません。

だからこそ、自分の理想を誰かに押しつけてまで続けることはしたくありませんでした。

コロナ禍を経て、いろいろなことを考えた末、最後の学年を無事に送り出したところで、25年以上続けてきた学習塾を閉じる決断をしました。

不思議なことに、未練はありませんでした。

やりたいことは、精いっぱいやってきた。

何より、たくさんの教え子たちと過ごした時間は、塾を閉じたからといって消えるものではありません。

そして、あのとき始めた副業があったからこそ、生活のために理想を曲げて塾を続ける必要もなくなっていました。

理想の学び舎を守りたくて始めた副業が、最後には、その理想を大切な思い出のまま残す自由を与えてくれたのです。

今でも、ときどき特別な事情のある生徒の指導を引き受けることはあります。

でも、かつてのような、子どもたちがワイワイ集まる秘密基地を再び開く予定はありません。

あの学び舎は、私にとって、かけがえのない宝物になりました。

そして今度は、教え子と一緒に新しい挑戦へ!

さて、そんな私が数年ぶりに、このブログを本格的に再開することにしました。

きっかけは、ある教え子との何気ない会話……というより、私の突然の思いつきです(笑)。

その教え子は、現在25歳。

好奇心旺盛で、努力家で、何事にも前向きな青年です。

今でもLINEで情報交換をしたり、時々遊びに来たりする、付き合いの長い教え子の一人です。

実は彼、私がパニック障害を発症した当時、中学2年生だった生徒なんです。

そう、あの一番つらかった時期を支えてくれた、あの学年の中心メンバーの一人です。

そんな彼とは、最近、同じ24時間ジムに通うようになり、顔を合わせる機会も増えていました。

彼が筋トレに励む一方で、私は2階のワーキングスペースでパソコンを広げて仕事をする。

そんなある日、ふと思いつきました。

「そうだ! 一緒にAI副業に挑戦して、3か月後にどっちが稼げるか競争したら面白いんじゃない?」

ということで、今度は先生と教え子が、それぞれAIを活用した副業に挑戦することになりました。

最初の目標は、初心者でも短期間で収益を得られるのかを実際に試すこと。

まずは30日間でどこまでできるのか、そして3か月後にはどんな結果になっているのか。

うまくいくのか、失敗するのか。

そもそも、二人ともちゃんと稼げるようになるのか。

今のところ、まったくわかりません(笑)。

でも、それも含めて、実際に挑戦した過程をこのブログに記録していこうと思っています。

かつて私を支えてくれた中学生が、今では一緒に新しいことに挑戦できる大人になりました。

あの頃は教室で勉強を教えていた先生と生徒が、今度はお互いに情報を交換し、工夫を競い合いながら成長していく。

なんだか、それも私が思い描いていた学び舎の、一つの続きのような気がしています。

ようこそ、寺子屋おやなり☆秘密基地へ!

このブログは、もともとパニック障害からの回復を目指して試行錯誤した日々を記録するために始めたものでした。

その後は、日常の出来事や興味を持ったことを自由に書く雑記ブログとして続けてきました。

これからは、教え子とのAI副業チャレンジを中心に、実際に試してわかったこと、失敗したこと、ちょっとした発見なども、飾らず書いていこうと思っています。

過去のパニック障害克服記も、今なお読みに来てくださる方がいるので、少しずつ読みやすく整理して残していくつもりです。

そして、ときには昔の教え子たちとの思い出や、日々の暮らしの中で気になったことも書くかもしれません。

せっかく再開するのなら、立派な情報サイトを目指すより、私にしか書けないことを、私らしく書いていきたいと思っています。

かつての塾がそうだったように、ここも、気軽にふらっと立ち寄れる場所になれば嬉しいです。

50代の先生と25歳の教え子による、ちょっと変わったAI副業奮闘記。

果たして、どちらが先に成果を出せるのでしょうか?

よろしければ、これからの挑戦を一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。

これからも、どうぞよろしくお願いします!

oyanari

タイトルとURLをコピーしました