先週の金曜日、ようやく夏休みに入りました。
忙しすぎてブログには書いていませんでしたが、
このひと月間、教育委員会の要請で、
小学校へレンタル移籍していました。
理由を簡単に書くと、
とても大変な児童がいて、
学校業務に支障が出るほど大変な状態なので、
男性の特別支援員が必要ということでした。
要請があったときには、
私があまりにも生徒達と
密な信頼関係を築いてしまうことを警戒して、
小学校へ飛ばされたのかな・・・?
と勘ぐってしまうようなタイミングでした。
私が長年、塾の生徒達と築いてきたような、
何でも話せて、
人として、長く向き合うような、
そういう人間関係を中学校の現場は嫌います・・・
「自分のやり方に問題があるようなら、いつでも辞めますよ?!」
そう伝えましたが、
教育委員会の話、説得を1時間ほど聞かされていると、
どうやら、本当に困っているようにも思えます。
実際、中学校の現場の先生方も、
私の役割が必要だと言ってくれる方もいて、
左遷的な人事異動では無さそうだ・・・
仕方なく受け入れました。
環境の変化が苦手なパニック持ち
パニック障害を患うものにとって、
環境の変化というのは、
かなりこたえるものです。
しかし、期間も決められており、
私の気持ちとしては、
様々な環境の変化を求め、
それに対応出来るか試したい気持ちや、
短い人生の中で、
ひとつの仕事だけで無く、
多くの経験を積みたいという気持ちも強くありました。
大学1年の頃から、家庭教師、塾講師を主な仕事とし、
途中途中、短期で家電量販店の店員をやったり、
他にも様々な仕事をやりましたが、
それでも、メインの仕事は、塾の運営でした。
自由に生きていて、時間的にも余裕があり、
生活が困らない程度の十分な収入はありつつ、
やはり、責任の重さ、
受験生を抱えているという束縛により、
思い切った動きは制限されていました。
パニック障害を発症し、
さらに、行動範囲が狭まるという期間も過ごしました。
そう振り返ると、
こんな短い期間で中学校と小学校、両方を経験出来る良い機会だ!
と、ポジティブに捉えました。
自分自身に負荷をかける為にガラリと環境を変えた
去年の、期間工として愛知県に行ったのも、
数年掛け、西洋薬に頼らず、
自力でパニック障害を克服してきた、集大成として、
自分自身をとことん追い込むのが目的でした。
去年の、あの過酷だった日々の記録を、
もっと残しておけば良かったな~と、
少しだけ、勿体なく思っている、今日この頃です。
肉体的に、とてもハードで、毎日クタクタになり、
休み時間には一言も話をする気力も無いほどでした。
それでも、休憩時間、自販機の前でデカビタを飲むとき、
顔を合わせる顔見知りの社員や、同僚たちとは、
いつも笑顔で、元気に声かけをするよう
心がけていました。
そうやって、いつも笑顔でふれ合い続けると、
「○○さん、いつも良い笑顔で、
会うと元気になるよ~」
とか、嬉しい言葉を掛けて貰えます。
自分の存在で人を元気にさせていると思えると、
やはり嬉しくなります。
辛い時ほど笑顔を作る
自分が辛いときには、
皆同じように辛いのだから、
なら、辛いときこそ、笑顔でいよう!
そう思って過ごしたのでした。
私は、いつからか覚えていませんが、
『辛いときこそ、笑顔でいよう!』
そうやって、日々過ごし、
それが当たり前のように習慣化しています。
辛くて、キツいときほど、笑顔になります。
なので、私は、いつも笑顔で居る人を見ると、
「きっと、この人も、さまざまな辛いことを抱えながら、
頑張って生きているんだろうな・・・」
そう思います。
逆に、いつも忙しそうに、イライラして怒っている人を見ると、
その人が、少しでも笑顔になって、
心にゆとりのある日々を過ごして貰いたいな・・・
そう思うのです。
小学校初日☆かんしゃく持ちの児童に傷を負わされる(+_+)
慣れてきた職場から、
不慣れで、経験の無い
小学校の現場に配置換えされた初日、
担当する児童が休みだったため、
別の児童を担当することになりました。
すると、早速、その子の地雷を踏んでしまい、
癇癪を起こして暴れられ、
傷を負わされてしまいました(;´Д`)
そのヒステリーパニックを起こした小学生に、
どうやって対応して良いのか指示も無かったため、
そうすれば良いのか分かりません。
パニック障害特有の、
頭の血管が一気に締め付けられるような・・・、
一気に血の気が引いて、
息が出来なく無くなりそうな感覚に襲われました。
とりあえず、この暴れて、私に掴みかかり、
引っ掻いたり、蹴ったりする子を落ち着かせようとしますが、
最終的には、
静かに、大人のマジギレを見せ、
低い声で叱るというか、
脅すような感じで黙らせるしか効果がありませんでした。
その後、騒音を聞きつけ、
駆けつけてくれた教頭先生や、
他の先生方にバトンタッチしたのでした。
すぐに、私自身の気持ちを落ち着かせるために、
ロディオラを2粒(普段は1粒です)、
そして、パニック障害の予期不安に効く、
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)
を一袋飲んで、保健室の先生と話をし、
気持ちを落ち着けます。
そして、この児童が落ち着いた後に、
話をしたのでした。
特別支援なので、こういう
情緒に問題のある生徒と
向き合うのが仕事です。
中学校になると、ここまで感情を露わにする生徒は、
そもそも、学校には来ません。
こういう暴れる子供と向き合うのは、
小学校ならではです。
特性を持っており、
家庭環境にも問題を抱える児童で、
その話は当然聞かされていたため、
出来るだけ、この子と関わりたくないな・・・
そう思いつつも、
だからこそ、自分はこの子と関わらないと・・・
そう覚悟を決めたのでした。
体力的にキツい小学校の先生
翌日からは、私の担当する児童が登校し、
その子との追いかけっこが始まりました。
中学校とは違い、休み時間が無いのが、
小学校のキツさです。
毎日、体力的にボロボロになり、
早く、中学校に戻りたい・・・と、
約束の期間が過ぎるのを耐えたのでした。
しかし、予想はしていましたが、
延長されました。
そのときには、
早く中学校に戻りたい気持ちと同時に、
今のこの状況で、
自分が抜けるわけにはいかないな・・・
その思いでした。
中学校と、小学校で比べると、明らかに、
小学校が大変です。(一番は体力的に・・・)
また、先生方の、教育に掛ける情熱も、
悲しいほど、比べようも無いほど、
小学校の方が熱いと感じました。
中学は、担当する教科だけで、
担任であっても、関わる時間が学活くらいです。
小学校は、担任になると、
その預かった子を、1日中見守り、
成長させるために、どう向き合えば良いのか、
ずっと考え、悩みます。
高校入試の内申点という人質が無いので、
完全に、
人間力勝負です。
飲み会に参加すると、中学校の先生方は、
「飲み会の場まで、仕事の話を持ち込まないで!」
というスタンスですが、
小学校の先生方と飲み会をすると、
熱い教育論議に花を咲かせ、
私のように、
教育に一生を捧げ、
その生き方に誇りと、価値を見いだしている者には、
本当に居心地の良い場でした。
小学校の先生は、預かった児童のことを話す時、
本当に親身で語りますが、
中学校の先生は、客観視していて、
必ず一歩引いた距離感で分析的に語ります。
(そういう距離感が必要とされるのかもしれません(;´Д`))
キツい期間工の修行の経験がパニック障害克服に効いている
去年、愛知県の期間工を終え、
沖縄に戻る準備をしていた約2週間、
克服出来ていたと思ったパニック障害の症状が
少しだけぶり返し、
帰る準備を進めなければならないのに、
上手く行動出来ない日が数日ありました。
静岡の富士山にも行きたい・・・
岐阜県にも行きたい!!!
観光名所の本をコンビニで買ったにも関わらず、
予期不安が酷くなり、辛うじて行けたのが、
伊勢神宮でした。
その伊勢神宮に行くときも、
長い道中、
車を走らせている間中、
ここで発作が起きたらどうしよう・・・と、
予期不安で苦しくなったり、
戻れなくなったら・・・など、
苦しくなるのですが、
そんなときに、
この半年間、期間工で過ごした
工場でのライン作業の辛さを乗り切った
経験を思い出すのです。
そうすると、
「大丈夫!大丈夫!
オレは、あのキツさを乗り越えたのだから、
これから先、どんなことがあっても、
大丈夫!」
そう、気持ちを落ち着かせられます。
沖縄に帰ってきてからも、しばらく、
「今後、塾を再開して、
これまでのようにやっていけるのか・・・
生徒は集まるだろうか・・・」
「このまま、残りの人生、
今までのように生きていくのか・・・?」
そう自分の人生を見つめ直す期間、
時々、夜中に予期不安が襲ってきたり、
少しだけ鬱症状が出たりしました。
それでも、
人に会うときには、元気で笑顔を絶やさず、
常に出会う人に元気を与えられるような態度を取っていると、
様々なことが好転していきました。
夜、辛いときには、Youtubeの引き寄せの法則の音声や、
マーフィーの法則の音声を聞きながら、
常に、ポジティブになるよう仕掛け、
自分の人生が、
好転していくイメージを持って過ごしました。
人の人生を語るには人生は短すぎる
現在、収入的には、塾だけに専念するのに比べ、
一日中、朝から晩まで忙しく働いている割には、
低いのですが、
とても貴重な経験をさせて貰っている気がします。
私のような者(ベテランの塾長?)が、
なぜこんなにも給料の安い、
特別支援員の仕事をしているのか、
とても不思議なようで、
飲み会などで聞かれます。
このブログの古い読者の方なら分かると思うのですが、
短く簡単に説明することは出来ない為、
当たり障り無く答えています。
人が、自分自身について話す内容というのは、
人生の、ほんの一部分を切り取って話すだけで、
私たちが、互いを分かり合うには、
人生は短すぎるような気もします。
居心地の良い職場☆必要とされている職場
夏休み明けからは、また中学校に戻ることになりますが、
短い期間ながら、密度の濃かった小学校では、
価値観の合う先生方が多く、
教育観に関しても、とても長く、深く話し合え、
働く環境としては、俄然、小学校が居心地良く感じました。
私の最終日には、
きっと、アスペルガーで、
私の気持ちはそれほど伝わらなかっただろうな~
きっと、直ぐに忘れられるんだろうな~
そう思っていた、関わった児童達から、
誰に言われたわけでも無いのに、
似顔絵付きの手紙を貰い、
そして、精神年齢が2歳と言われていた、
ダウン症の子も、私を探して訪ねに来たり、
肢体不自由で、言葉もはっきり話せない子が、
別の子が私に付けた、
面白いニックネームで呼んでくれたりなど・・・
最終日は、本当に泣きそうになりました。
(実際に涙が出ましたが(^◇^;))
このまま小学校でも良かったかも・・・と思いつつも、
やはり中学校は、より具体的に私の助けが必要な生徒達が待っています。
仕事を終え、靴箱を出ると、
中2の野球部の生徒が数人迎えに来てくれていました・・・( ゚Д゚)
小学校勤務中も、何度も中学の野球部には顔を出して、
大会も応援に行って、小学校最終日を伝えていましたが・・・
「もしかしたら、先生に会えるかな~と思って来た!」
と、言われたときには、うれしさよりも、
驚きでした。
その様子を見ていた、小学校の同僚達も、
「やっぱり先生、生徒達に必要とされているんだね・・・」
そう口にします。
嬉しいというか、なんとも言えない気持ちになります。
それは、
この数ヶ月、支援員として学校現場に入り、
公教育の限界を痛感し、
塾に比べ、公教育、学校現場で出来ることが、
あまりに少なく、密度が薄いことに情熱が冷め、
何も出来ないのなら、
もう割り切るしか無いかな・・・
と思い始めていたからでした。
私は、中1の担当です。
しかし、この中2の生徒達は、私に
中2にも入って欲しいと話していました。
小学校の特別支援は、全力で子供達と向き合え、
勉強も必要であれば、がっつり教えますし、
担任の先生とも、しっかりとタッグを組み、
どうすれば、この子を成長させることが出来るのかを、
とことん考え、行動出来ます。
それに比べ、中学校では、あまり生徒と親密にならず、
距離感を持って接するよう求められます。
それは、管理職や、他の支援の先生方の教育観?
仕事に対する情熱の違い・・・?
小学校と、中学校で求められる仕事の違い・・・?
無力感しか感じません・・・
何も出来ない状態であるにも関わらず、
生徒達に求められるという、
とても難しい職場に戻るのだと思うと、
求められているという嬉しさ半分、
切なく、
気持ちを新たにするのでした。
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